2012年9月9日日曜日

こんにちはゼーマンさん(後編)/ Hello, Mr. Zeman ! (Part 2)

 
時は流れてもゼーマン教は廃れることはなかった。 海辺の町ペスカーラに
落ち着くとゼーマンは遂に1992年以来のタイトルを獲得する。
それは”奇跡のフォッジャ”時代を想起させるゴールラッシュでの優勝だった。
ゴールネットを揺らした数は実に90回、 ペスカーラに次いで2位で
シーズンを終えたトリノの55得点のほぼ倍である。全てのゼーマンが
率いたチームと同じく唯一予想可能な事は、彼のチームは予測不可能で
且つ観ている者が楽しめる攻撃を繰り出すことだけ。FWやMFが奔放に
相手陣内に流れこむような攻撃を仕掛ける一方で相手からの攻撃に
注意を払うようなことは無かった。

彼がペスカーラで作り上げたチームは色々なタイプの選手を上手く混ぜ
合わせて構成されていた。 経験豊かなベテラン選手が脇を固める中で
数人の素晴らしい若手が輝きを放った。特に28ゴールをあげてリーグ
得点王となったインモービレ(ユベントスからのレンタル)、トリッキーな
動きが出色だったインシーニェ(同ナポリ)、前線を激しく掻きまわした
カプラーリ(同ローマ)の活躍は特に印象的だった。
地元出身の19歳ヴェラッティは全てのイタリアのビッグクラブが注目する
までに成長し、シーズン終了後にはプランデッリによってユーロ2012の
召集メンバーに選ばれた。

ゼーマンは彼自身がヘビースモーカーであるにも関わらず、選手には
最高の体調管理と途方もない運動量を求める。彼はスタミナを得点と
同じくらい愛していると言い換えても良い。
彼の試合を観ればすぐに理解出来るだろう。彼がキックオフ時に
センターラインに選手を8人も並べる意味を。どうして彼がチームに
試合を通じて90分間ほとんど休み無しで走り続けるのを要求するのか?
何故、ビーチや森の中を延々と走り続けたり、スタジアムの階段を
繰り返し上り下りする事に代表される悪名高い軍隊式の厳しい
トレーニングをチームに課すのか?

ゼーマンはありきたりな変化への要求を嘲笑うかのようにペスカーラで
20年前フォッジャで行ったのと全く同じ戦術・フォーメーションを用いた。

現代のサッカーでは常識となっているハイプレスとサイドバックの攻撃
参加を内包した先進的な4-3-3システムの採用・・・おそらく彼の最初の
成功は本物の奇跡と呼んでも良いだろう。 この点については多くの記者を
集めて行われたローマの監督就任会見でも触れている。

『人々は私が戦術的に変わったと言うが、私は全く同意できないね。
私が自分のチームに求めるのはファンを楽しませることだ。それによって
ファン達はもっと身近な存在となり、チームにより情熱的な応援を送って
くれるようになる。上手くやって私のやり方に懐疑的な人々を納得させ
たいね。』

90年代初め既に彼がサッカーを語るのに幾何学やパス交換する際の
三角形の位置関係の重要性を語っていた事を引き合いに出すまでも無く、
彼の存在は時代の先を行っていた。
彼は単にそのアウトサイダーという肩書だけではなく、ルイス・エンリケの
やろうとしていた仕事を受け継ぐのに相応しい後継者なのだ。

スペインからやって来た前任指揮官は、彼の在任中、自身の少ない
指導経験と実績にも関わらず、バルディーニとローマ経営陣から遥かに
大きい信任を与えられた。しかし、それと引き換えに彼は同じくらい大きい
失敗の責任も負わされることとなった。彼がローマを離れたのは、初めて
この地にやって来てからまだ1年も経っていなかった時だった。

同じように、10年以上ぶりにローマに帰って来た英雄に対する信任は
厚い。むしろ前任者より大きな余裕が与えられていると言っても良い
だろう、何故なら彼がズデネク・ゼーマンだからだ。
彼の率いる新生ローマが私達を楽しませてくれるのは間違いない。
最後に彼の言葉を1つ引用しよう。
『90ゴールを決めれば、何失点するかなんて心配しなくていい。』
これこそがゼーマニズムの真髄である。

それでは楽しい旅を!