2012年9月13日木曜日

ローマ、オリンピコにVIPシートを創設 / Tribuna 1927


2年前にローマがアメリカ人実業家トーマス・ディベネデット(ボストン・レッド
ソックスの共同オーナー)とジェームズ・パロッタ(ボストン・セルティックスの
共同オーナー)に売却されることが決定して以来、彼等は『ASローマ』という
チームをバルセロナやマンチェスター・ユナイテッドと並ぶような世界的な
ブランドにまで引き上げることを目標としてきた。
パロッタは公式には先週、新しいローマの社長に就任したばかりだが
既にローマを次のレベルに導くための方策を打ち出している。

クラブの中でのアメリカ資本の影響力を高めつつ、地元の自治体・官公庁
と連携して2016年までにローマ郊外にサッカー専用スタジアムを建設する
ことを目指すのがその第一歩である。パロッタと経営陣が狙っているのは
今迄の試合観戦のあり方を完全に刷新することだ。 具体的には近年、
チェルシー、バルセロナそしてユベントス等のクラブが成し遂げたような
改革である。
ローマは先日、スタディオ・オリンピコの一角に『Tribuna 1927』という
フェンウェイパーク(レッドソックスの本拠地)にあるような豪華なボックス
シートを増設した。



このクラブの創設年を冠したこの最先端のVIPシートでは席暖房が完備。
この席から行くことが出来るレストランでは最高級の料理が提供され、
大きな窓から厨房で料理が作られている過程も見ることが出来る。
備え付けのバーからはキックオフ及び後半開始時にピッチに出てくる
選手たちを間近に見ることも可能だ。

そして試合中に瞬きすることも可能になる。今までオリンピコで試合を観た
ことが有る方はお分かりかも知れないが、このスタジアムには巨大な
スクリーンが2つあるがどちらも試合中にリプレイを流すことは無かった。
しかし『Tribuna 1927』にタッチスクリーン式のモニターが備え付けられ、
そこには試合のハイライトだけでなく、試合前のロッカールームや
通路を通ってピッチに向かう選手たちの映像も写しだされる。

『これはイタリアで初めての試みなんです。』とVIP部門のマネージャで
あるレオナルド・ロッシは語った。彼は今年ローマに加わる前は、昨年
新スタジアムを建設して大成功を収めたユベントスで同じ職にあった。
『すごく近代的でしょう。我々が一番大事にしていることは高級感ですよ。
この新しい席で提供される食事、眺望は本当に特別なものです。』

スタディオ・オリンピコには陸上競技場も併設されている為、トラックが
ファンとピッチの間を遠ざけている。しかしこの新シートはよりピッチを
近く感じることが出来るのである。

この競技場を所有するイタリアオリンピック委員会はこのスタジアムを
ローマとそのライバルであるラツィオ両者に貸し出しているが、この新しい
VIP席を利用できるのはローマファンだけである。
この点でローマはラツィオより一歩前に居ると言えるし、クラブとファンの
関係をより強固にすることにおいても先んじたと言える。ローマの狙いは
試合でもピッチの外でも常にライバルを上回ることなのである。

2012年9月12日水曜日

イタリアサッカーにおける共同保有権制度/ Co-ownership system in Italian Football

サッカーファンの間で多くの混乱と誤解を生んでいるセリエA及び
下部リーグにおける選手の共同保有権問題について解説しよう。
このイタリア独特の制度は長い間、ファン及びサッカー関係者の間で
議論の対象となってきた。そして多くの場合、懐疑的な目で見られて
いたことも事実だ。

しかしながらこの制度は上手く利用すれば、関係クラブのコスト削減
という観点からだけでなく、取引に関わった3者全員(両クラブそして
選手本人)にとって莫大な恩恵をもたらすものなのである。
実際に最近のイタリア代表を見てみても、ほとんどの選手がキャリアの
初期にこの制度の元で移籍を経験しているのが判るだろう。

悲しい事にユベントスの元スポーツ・ディレクター、アレッシオ・セッコ
(ユベントスの元SD、クリッシートの移籍に関して不正が有ったとされ
同クラブを解任されている)の行った多くの悪名高き取引の為、未だ
にこの制度はサポーターの間では取引の裏に何かが隠されている
のではないかと疑問視されることも多い。




共同保有、イタリア語で"compartecipazione”と呼ばれるこの制度は
2つのクラブが選手の保有権を50%づつ持つ制度である。もちろん選手は
この2つのクラブの内、どちらかでしか試合には出場出来ない。
一般的にはビッグクラブとプロビンチャが保有権を持ち合い、実際に
選手登録されるのはプロビンチャの方になることが多い。

このシステムはイタリア以外でもアルゼンチン、チリ、ウルグアイ等で
良く利用されていたが、それらの国々では最近はカルロス・テベスの
マンチェスター・シティへの移籍の例に見られる様に第3者が所有権を
持つ方向にシフトしている。

共同保有権制度の一番の利点は、経営規模の小さなクラブが通常の
移籍では獲得が難しいような有望な若手選手と契約できることにあると
信じられている。 これは部分的には正しい・・・加えて保有権の半分を
持つ事で小規模なクラブは単純なレンタル移籍(しばしば貸出元の
クラブの都合で一方的にキャンセルされたりする)で選手を借りるよりも
ずっと選手をコントロール出来る。
またビッグクラブはこの様な小さなクラブから選手を獲得する場合に
しばしば取引材料として他の若手選手の保有権の半分を差しだす事も
ある。

選手にとっては共同保有での移籍は別の意味も持つ。借り入れる側の
クラブも金銭的な投資を伴う共同保有形式での移籍は、一般的に
単純なレンタル形式での移籍よりも出場機会が与えられる場合が多い
のである(フェデリコ・マケダがサンプドリアで無駄にした6か月を覚えて
いるだろうか)。
さらに貸出元のクラブにとっても多くの場合、有望な若手選手を
プレッシャーの少ない環境で、多くの出場機会を与えることで成長させる
ことが出来るのメリットがある。

コンセプトを明瞭にするために、2つの架空の例を考える事にしよう。
ローマは才能ある20歳のストライカーを2人抱えていたが、トップチーム
には既に多くのストライカーが居るため、彼らを昇格させるのは難しい。
そこでローマは1人をボローニャにレンタルし、もう1人は所有権の半分を
シエナに300万ユーロで売却して移籍させた。

前者はほとんどの時間をベンチを温めて過ごし、シーズン終了後に
スタディオ・オリンピコに経験不足のまま、1歳年をとっただけで帰って来た。
もちろんクラブの自分に対する態度にも幻滅を感じている。

対照的に後者は金銭的対価が支払われたこともあり、シエナで出場
機会を与えられた。結果として彼はレギュラーポジションを確保し、多くの
ゴールも決める事が出来た。シーズン終了後、ローマは彼を呼び戻す
ことにした。トッティの横でプレーさせる為に、シエナに売却した所有権の
半分を550万ユーロで買い戻したのである。

最初はこの制度に不慣れな人達はこう思うだろう。シエナは当初、
選手の所有権の半分を購入する為に300万ユーロを払った、それが
どうして1年後に550万ユーロになるのかと。しかし選手がこの移籍で
得た経験や自信については単純にお金には換算できないのである。
この差額をローマはこの選手への投資と捉え、シエナは選手に出場
機会を与え、成長させた事の見返りとして受け取るのである。

もしこのFWが伸び悩み、セリエAでプレイするレベルにないと証明
することになったとしてもローマは当初の300万ユーロは受け取って
いるし、加えてこの選手への評価を手元に置いておくよりも、ずっと
早く定める事が出来るのである。



もちろん貸出元のクラブが選手の価値を大きく見誤った為に多額の
損失を出した例もある。近年、もっとも有名な例はアドリアーノの一件
だろう。 2002年、インテルはこのブラジル人ストライカーの所有権の
半分を450万ユーロでパルマに売却したが、彼が36試合で22得点を
決めた後で50%を買い戻すのには1,500万ユーロを要したのである。

憶えていなければならない重要なポイントは、FIGC(イタリアサッカー
連盟)の規則で、共同保有契約は厳格なガイドラインに沿って運用
されるように指示されていることだ。
毎年6月末が近づくと両クラブは共同保有契約を更新するか否かの
話し合いを行わなくてはならない。
つまり・・・
(1)所有権を50%づつ持ちあったまま、もう1年間どちらかのクラブで
  プレーさせる。
(2)どちらかのクラブが相手チームの持っている所有権の半分を
  買い取る。金額は両クラブで協議する。

期限までに上の2つのどちらの合意にも至らなかった選手については、
両クラブによる競争入札が行われ、より高い金額を提示したクラブが
相手クラブが持つ”所有権の50%”を買取ることになる。

一般的に経営者たちは選手を市場価値より低い値段で手放す
ことや、手元に置いておきたい選手の入札で敗北する事も嫌うため、
出来るだけ競争入札になることを避けようとする傾向にある。



数年前、フィオレンティーナがクラブ消滅の危機から立ち直り再び
セリエAに戻って来た時、彼等はキエッリーニ、ミッコリ、マレスカの
3人の所有権の半分を獲得するために1,350万ユーロを支払ったが、
1年後に競争入札に敗れたため、そのすべてを失い。670万ユーロの
損失を出した。
当時のフィオレンティーナの財務状態は不安定で有った為、3人の入札に
高値をつけるのが難しいと判断したルチアーノ・モッジ(カルチョポリで
有名な元ユベントスGM、プロビンチャから選手を獲得する際に必ず若手の
共同保有権を使って値引きさせるのが常套手段だった)に才能ある
3人を格安で買い叩かれたのである。

上記の例の様に入札に失敗すると周囲から激しい非難を浴びることも
多い為、当然ながらクラブの経営陣は入札になることを非常に怖れる。
その為、ほとんどの共同保有のケースでは問題は話し合いで解決される
(貸出元のビッグクラブが競争入札になるのを嫌った結果、期待の若手が
思ったよりも長くプロビンチャに留まることも多い)。

つまり共同保有制度は大局的に判断すると、一方のクラブには彼等の
貴重な戦力となる選手を与え、もう一方のクラブには才能ある若者に
成長の機会を与える事が出来る素晴らしい制度なのである。
近年の例で言えばアバーテやジョビンコがその良い証拠となるだろう。
この制度が無ければ彼等はその才能を磨くどころか、グラウンドに
立つ機会も無かったのだろうから。

2012年9月9日日曜日

こんにちはゼーマンさん(後編)/ Hello, Mr. Zeman ! (Part 2)

 
時は流れてもゼーマン教は廃れることはなかった。 海辺の町ペスカーラに
落ち着くとゼーマンは遂に1992年以来のタイトルを獲得する。
それは”奇跡のフォッジャ”時代を想起させるゴールラッシュでの優勝だった。
ゴールネットを揺らした数は実に90回、 ペスカーラに次いで2位で
シーズンを終えたトリノの55得点のほぼ倍である。全てのゼーマンが
率いたチームと同じく唯一予想可能な事は、彼のチームは予測不可能で
且つ観ている者が楽しめる攻撃を繰り出すことだけ。FWやMFが奔放に
相手陣内に流れこむような攻撃を仕掛ける一方で相手からの攻撃に
注意を払うようなことは無かった。

彼がペスカーラで作り上げたチームは色々なタイプの選手を上手く混ぜ
合わせて構成されていた。 経験豊かなベテラン選手が脇を固める中で
数人の素晴らしい若手が輝きを放った。特に28ゴールをあげてリーグ
得点王となったインモービレ(ユベントスからのレンタル)、トリッキーな
動きが出色だったインシーニェ(同ナポリ)、前線を激しく掻きまわした
カプラーリ(同ローマ)の活躍は特に印象的だった。
地元出身の19歳ヴェラッティは全てのイタリアのビッグクラブが注目する
までに成長し、シーズン終了後にはプランデッリによってユーロ2012の
召集メンバーに選ばれた。

ゼーマンは彼自身がヘビースモーカーであるにも関わらず、選手には
最高の体調管理と途方もない運動量を求める。彼はスタミナを得点と
同じくらい愛していると言い換えても良い。
彼の試合を観ればすぐに理解出来るだろう。彼がキックオフ時に
センターラインに選手を8人も並べる意味を。どうして彼がチームに
試合を通じて90分間ほとんど休み無しで走り続けるのを要求するのか?
何故、ビーチや森の中を延々と走り続けたり、スタジアムの階段を
繰り返し上り下りする事に代表される悪名高い軍隊式の厳しい
トレーニングをチームに課すのか?

ゼーマンはありきたりな変化への要求を嘲笑うかのようにペスカーラで
20年前フォッジャで行ったのと全く同じ戦術・フォーメーションを用いた。

現代のサッカーでは常識となっているハイプレスとサイドバックの攻撃
参加を内包した先進的な4-3-3システムの採用・・・おそらく彼の最初の
成功は本物の奇跡と呼んでも良いだろう。 この点については多くの記者を
集めて行われたローマの監督就任会見でも触れている。

『人々は私が戦術的に変わったと言うが、私は全く同意できないね。
私が自分のチームに求めるのはファンを楽しませることだ。それによって
ファン達はもっと身近な存在となり、チームにより情熱的な応援を送って
くれるようになる。上手くやって私のやり方に懐疑的な人々を納得させ
たいね。』

90年代初め既に彼がサッカーを語るのに幾何学やパス交換する際の
三角形の位置関係の重要性を語っていた事を引き合いに出すまでも無く、
彼の存在は時代の先を行っていた。
彼は単にそのアウトサイダーという肩書だけではなく、ルイス・エンリケの
やろうとしていた仕事を受け継ぐのに相応しい後継者なのだ。

スペインからやって来た前任指揮官は、彼の在任中、自身の少ない
指導経験と実績にも関わらず、バルディーニとローマ経営陣から遥かに
大きい信任を与えられた。しかし、それと引き換えに彼は同じくらい大きい
失敗の責任も負わされることとなった。彼がローマを離れたのは、初めて
この地にやって来てからまだ1年も経っていなかった時だった。

同じように、10年以上ぶりにローマに帰って来た英雄に対する信任は
厚い。むしろ前任者より大きな余裕が与えられていると言っても良い
だろう、何故なら彼がズデネク・ゼーマンだからだ。
彼の率いる新生ローマが私達を楽しませてくれるのは間違いない。
最後に彼の言葉を1つ引用しよう。
『90ゴールを決めれば、何失点するかなんて心配しなくていい。』
これこそがゼーマニズムの真髄である。

それでは楽しい旅を!

2012年9月8日土曜日

こんにちはゼーマンさん(前編)/ Hello, Mr. Zeman ! (Part 1)


 『私はイタリアサッカーに毒されていない人物を探していたんだ。
私は彼の大胆不敵な部分に魅かれていた。サッカーに対するアプローチと
いう意味でも、そして彼自身のキャラクターという意味でもね。
彼はやる気に満ち溢れていたよ、彼のサッカー哲学、すなわちゴールを
多く決めるという目的を達成するためにね。』
昨年、ローマのGMフランコ・バルディーニは新監督をルイス・エンリケに
託す決定した理由をそう話した。 この言葉は皮肉にも1年後にその後任
となったゼーマンにもそっくり当てはまる。

プラハに生まれたゼーマンは正真正銘のアウトサイダーだ。彼のスタイルを
好むか好まざるかは別として、彼の率いるチームがイタリアでもっとも
情熱的なサッカーを見せてきたのは事実だ。
そんな彼に引き付けられたのが12ヵ月前にアメリカ人オーナーに買収
されてからクラブの新たな礎を築きつつあったローマだった。

ゼーマンは前年の2011/12シーズン・セリエBペスカーラにおいて優勝を
成し遂げた。カルチョの世界の多くの者から称賛を集める彼の名声とは
裏腹にこれが彼にとって1992年にフォッジャで同じタイトルを獲得して以来、
生涯で2つ目のトロフィーである。ただ彼の事を語るのに獲得したタイトルや
メダルの数はあまり意味を持たない。とにかく、このセリエBでの優勝と
共に彼の伝説は始まったのだ。

彼はプーリア州にある3部の弱小クラブを数年でUEFAカップの出場権を
手に入れるところまで引き上げた。ファビオ・カペッロに率いられた守備に
一生懸命なミランが国内、欧州の舞台で実績を積み上げている時に
イタリアに現れた彼の攻撃的サッカーはほとんどエイリアンの様だった。

後に『奇跡のフォッジャ』と呼ばれることになるこのチームは、その後の
彼の攻撃的サッカーの代名詞となる”ゼーマニズム”の出発点となった。
 フォッジャで臨んだゼーマンのセリエAデビューは開幕前にメディアから
無名選手ばかりを寄せ集めたリーグ最弱チームと評されながらも
最終的にはリーグ中位を確保した。



 このシーズン、彼は多くの才能ある無名の若者を世間に紹介する事に
なった。ジュゼッペ・シニョーリ、ダン・ペトレスク、ルイジ・ディビアッジョ、
ブライアン・ロイ・・・だが彼等よりも世の中の注目を集めたのはゼーマンの
採った攻め続ける為だけに考えられたような戦術だった。
この攻撃スタイルのエッセンスを体現したかのようなフォッジャはシーズン
58ゴールを挙げる。これはこの年スクデットを獲得したミランに次いで
リーグ2番目の数字だ。一方で監督がほとんどディフェンスを重視して
いないことの証拠に得点と同じ数だけの失点も計上した。

ゼーマンはそこからラツィオに引き抜かれ、彼らをセリエAで2位と3位に
導いた。その頃にはイタリアのサッカーを観ている者なら皆、彼が
攻撃的サッカーと煙草をこよなく愛している事を知るようになっていた。

ラツィオを解雇され、同じ街のライバルであるローマの監督に就任すると
彼の言動はしばしば論議を呼ぶ様になる。
デルピエロやヴィアッリの体格が短期間に激変したことを指摘して
ユベントスとの間にドーピング疑惑騒動が起こる中、ゼーマンはローマを
なんとか4位に滑り込ませた。

ローマを離れても、彼は常にカルチョの権力者達との闘争を繰り返し
次第に世間は彼を異端児と見なすようになった。彼は遊牧民の様に
2010/11シーズンにフォッジャの監督に再就任するまでの間、ナポリ、
フェネルバチェ、レッドスター・ベオグラード等9つのクラブを渡り歩いた。
フォッジャへの帰還は熱狂的な歓迎と共に受け止められ、就任発表
から僅か24時間で3,000枚のシーズンチケットが売れた。悲しい事に
彼はかつての栄光をスタディオ・ザッケリアにもたらすことに失敗し、
プレーオフへの出場権を逃すとすぐにペスカーラへと去ることに
なったのだが。

→ こんにちはゼーマンさん (後編)に続く

2012年9月7日金曜日

サンシーロがゼーマンランドとなった日/ Zemanlandia at San Siro

今季のセリエAに於いて特別な90分間となった。
イタリア全土から熱い視線が送られたこの試合でサンシーロは
"ゼーマンランド"と化した。


インテルのファン達はキックオフ前にクルヴァにこんな横断幕を
掲げた『偉大なるゼーマン、クリーンなカルチョの象徴』
それはサンシーロに集まったインテルファン達からの、多大な
犠牲を払いながらも、常に自身の信念に忠実だった65歳の男
への賛辞だった。
もっとも90分後には彼等はローマに叩きのめされ、この老人への
感謝の念はすぐに忘れられることになるのだが。


シーズン前夜、未だにイタリアサッカー界を苦しめ続ける八百長
スキャンダルについて尋ねられた時、ゼーマンはこう答えている。
『フットボールってのはゲームだろう?だったらそれをやるだけだ。』
そして日曜の夜、その言葉通りのことをローマはやってのけた。

前半15分、トッティが完璧なクロスを放り込むとフロレンツィが
簡単に頭で合わせて先制。

奇しくも、この試合当日、ゼーマンが過去2シーズンをかけて
(フォッジャとペスカーラ)その才能を開花させたインシーニェが
アズーリに召集されることが発表されていた。
チェコ生まれの老将には近い将来同じようにアズーリに呼ばれる
もう1人の若者の名前がはっきりと見えたことだろう。



後半、再度トッティから放たれたセンセーショナルなスルーパスから
オスヴァルドのゴールが生まれる。ガゼッタ・デッロ・スポルトは
『3本のクロス、3つのアシスト。トッティは老いることを知らない!』
と最高の賛辞を翌日の一面に並べた。
ローマの為に用意された夜はオスヴァルドのロブパスに反応した
マルキーニョがほとんど角度の無い所からねじこんだ美しい3点目で
締めくくられた。

それは本当の意味でのローマの新シーズンの幕開けだった。そして
そのパフォーマンスは開幕してまだ2試合しか消化していないのにも
関わらず、試合を観た人々に『果たしてゼーマンはスクデットを勝ち
取れるだろうか?』という質問を始めさせるのに十分だった。
ゼーマン自身がこの試合の内容にまだ満足していないのにも関わらず。

『我々は良い試合をした。チームはインテルを驚かせようと思っていたし
実際にそれを試合でやりとげた。』と65歳の老将は説明した。
『まだ改善の余地が有るのは事実だが、今日の結果が我々がやっている
サッカーが正しいものだという自信を与えてくれたのは事実だ。』



またサンシーロに掲げられた横断幕についてもコメントしている。
『今日、メッセージを掲げてくれた人達に感謝したい。そして他の人達も
同じようにカルチョの世界がクリーンであるべきだと思っていると
信じたいね。』

もちろんイタリアサッカー界の暗部に公然と反抗したり、試合の勝敗
よりも試合の質を優先する彼の姿勢に対する賞賛の影に隠れて、
多くの人達がローマが開幕試合のカターニア戦で危うく敗北寸前だった
のを忘れかけていることも事実だけれども。

ゼーマン自身が『これがゴールでは無い。』と試合後のインタビューを
締めくくった。
彼の言葉が正しい事を願おう。

2012年9月6日木曜日

セリエA 第2節 vs インテル / Nico is back!

ホームでの開幕戦を引き分けた我らがローマの第2戦は
敵地に乗り込んでのインテル戦。
ゼーマンの様に相手に合わせて戦術を変えることなく常に
攻撃的な相手と対峙する時に対戦相手には2つの選択肢が有る。
引いてカウンターを狙うか、オープンな撃ち合いを望むかだ。
果たしてストラマッチョーニは高いDFラインと共に後者を選択
してきた。



ローマのスタメンは開幕戦で全く良いところの無かったラメラに
代わってデストロ。ブラッドリーとピアニッチを怪我で欠く中盤は
左からフロレンツィ、タクシディス、デ・ロッシを並べた。
DF陣は前節と入れ替え無し。

インテルはカンビアッソの代わりに新加入のぺレイラが入った
以外は開幕戦と同じメンバー。
左CHにぺレイラを起用したことからも判るようにインテルは
最初から左サイドを徹底的にゴリ押ししてくる。
カッサーノ、ペレイラ、長友の3枚に加え、スナイデルも左サイドに
張り付いて、カターニア戦で脆さを見せたピリスを狙い撃ち
してくる。

対するローマはボールを奪うと逆サイドのトッティにボールを集めて
対抗する。インテルが左に大きく偏った配置になっている為、
トッティにはいつもより少し大きなスペースが与えられた。
この日のトッティにとっては、色々な意味でそれで十分だった。

15分、サイドチェンジのボールを受けるとワンタッチで
サネッティを交わして簡単に中に折り返す。
グアリンとシルベストレがニアに走り込んでいたデストロに完全に
気を取られていたため完全にフリーになっていたフロレンツィが
頭で綺麗に合わせて先制点。
この日のグアリンは守備を任された中盤の選手としては理想的な
働きを見せていたが、左サイドに居たり居なかったりするトッティに
加え、絶えずバルザレッティとフロレンツィが交互に彼のスペースに
侵入してくるため、DF陣とのマークの受け渡しに苦しんでいた。



事態の打開を図るために左サイドにポジションを移した
カッサーノが前半ロスタイムに幸運なゴールを決め、ローマは
一旦追いつかれるが、67分にはカウンターからトッティ→オスヴァルド
とカウンターのお手本の様なパスが渡り再びリード。こうなると
インテルにはもう反撃する余力が残されていなかった。

81分にマルキーニョがオスヴァルドがトッティの真似をして
あげたようなロブパスを角度の無い所から叩き込んで試合終了。
このゴールはボールを奪ってから4本のパスをすべて縦方向に
シンプルに繋いだゼーマニズムのエッセンスを体現したかの
ような得点だった。

左サイドを攻めるインテルの狙いは正しかったかも知れない、
ただイーブンボールの時にボールを預かる役目を担うのが
ガルガノでは力量不足。お世辞にも攻撃の起点となっているとは
言い難かった。
対するローマはトッティがおそらく05/06シーズン以来の試合中の
タッチ数でチーム1の数字を記録。前線の左サイドでゲームメイクする
という現代サッカーのセオリーでは有り得ないことをやってのけた。
ガルガノとトッティ… 両チームでそれぞれもっともパスを裁いた
プレイヤーの力の差がそのまま最終的なスコアに反映された
結果となった。



そして隠れたMOMはブルディッソ。カッサーノが退いた後、インテルが
執拗にミリート目がけて放り込み続けたパスを黙々と弾き返し、
スナイデルやパラシオからは自由とスペースを奪い続けた。
試合後にロッカールームに引き返す彼の背中は『今シーズン最高の
補強はデストロでもバルザレッティでもない。俺の復帰だ!』と
言わんばかりだった。
ローマに本物の狼がまた1匹戻ってきた。

2012年9月2日日曜日

シシューポスの神話 / Le Mythe de Sisyphe



1年でもっとも長い8月31日の終わりは、本当の意味で新しい
シーズンが始まった事を意味する。
つまり僕等(学習能力が無く、合理的な思考が出来ない者
たちの総称だ)はまた1年かけてシシューポスの様に岩を
山頂に押し上げる作業を始めるのだ。


僕等は知っている、岩はてっぺんまで届く前に必ず転がり
落ちてしまうことを。
しかしそれはローマと云う報われないチームとフットボールと云う
不毛なゲームを愛してしまった者達の宿命なのだ。
だから僕等は今年も岩を転がし始める。


シシューポスは彼の犯した罪の代償としてこの無限地獄の罰を
神々から与えられた。
しかし僕等は神に強要されなくとも、今年も喜んで岩を押し上げる
だろう。理由なんてものは必要ない、そうジョージ・マロリーの
セリフを引用なんかしなくてもね。